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昌徳宮〔しょうとくきゅう〕 |
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昌徳宮〔しょうとくきゅう〕を知る |
昌徳宮 (チャンドックン、しょうとくきゅう、창덕궁、Changdeokgung)は韓国ソウル特別市に所在する李氏朝鮮時代の宮殿。1997年に「昌徳宮の建造物群」としてユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された。
正宮である景福宮に対する離宮[1]として創建された。現在の韓国国内の宮殿の内、最も原形を残す宮殿であり、17世紀始めの面影を残している。日本の梨本宮家から嫁ぎ、大韓帝国最後の皇太子李垠の妃となった李方子(まさこ)もこの宮殿で暮らした。
正門にあたる敦化門(トンファムン)は大韓民国最古の門といわれる。また、敦化門をくぐった先にある錦川橋は大韓民国最古の橋とされる。儀式の執り行われた正殿の仁政殿(インジョンジョン)、国王が執務をしていた宣政殿(ソンジョンジョン)、王と王妃の寝殿だった大造殿(テジョジョン)など13棟の木造建築が現存している。
宮殿の北に広がる李朝時代の王朝庭園である後苑は秘苑(ビウォン)とも呼ばれ、園内には多くのあずまやや人工池などがあり、韓国造園技術の極致といわれる。現在のものは1623年に再建された景観である。
『ウィキペディア(Wikipedia)』より抜粋しています。さらに詳しく↓
昌徳宮 - Wikipedia |
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昌徳宮〔しょうとくきゅう〕の特徴 |
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グーグルアースで見た昌徳宮〔しょうとくきゅう〕 |
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日本の皇族で、朝鮮王朝に嫁いだ李方子(まさこ)も暮らした昌徳宮〔しょうとくきゅう〕です。李方子(まさこ)は、けっこう有名なので知ってる人も多いと思います。もっぱら自虐史観で、日本の植民地支配の贖罪に尽力した人として紹介されますね。テレビや新聞で取り上げられても、どうせ全てが真実じゃないから、あんま真に受けちゃいけませんよ。 |
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動画で見る昌徳宮〔しょうとくきゅう〕 |
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Changdeokgung
赤い帽子のオッサンが解説してくれてますが、何を言ってるかは分かりません。個人撮影だと思いますが、TV番組のように作ってありますね。良く出来てます。 |
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